柳田國男にみるオプション価値説

柳田國男「文化と民俗学」第七節末尾

文化という言葉をただの借物でなく、我々国民の生活用語とするには、ぜひとも最初にこれが無数の分子の、組合せから成り立っていることを、承知させておく必要がある。それには毎日使い馴れて、気づかずにいるほど手近なものと、境涯と資力次第で、利用することもできるというくらいに、遠くの方にあるものとが入り交っているということを、常識にしておけばよいのである。たとえば私などは都市の中にいるけれども、もう二十年以上も芝居や相撲に行かず、陸上協議会や拳闘とやらは写真でしか見たことがなく、時間が惜しいので音楽会には十四五年、絵の展覧会にもこの五六年は行かずにいるが、それでも可能性だけはあるのだから、こういうものも私たちの文化の一部なのである。