文化に対する各階級の距離の取り方

文化的命令は、教養ある人々の世界に所属していることを、まさにこの所属を規定している規則に従うことで、表明しようと思っている人々だけを拘束するので、観光旅行によって促進される美術館訪問の実践の強さは、最も教養ある階級(より高い受容レベルによって定義される)ほど強くなるが、たいていの場合偶然による訪問者にすぎない庶民階級にとって、観光旅行による移動はせいぜい補足的な訪問のチャンスをいくらか与えるにとどまる。教養ある階級のメンバーは、彼らの社会存在の一部をなす当為として押しつけられる文化的義務を呼びさまされていると感じるのに対し、自分たちを取りまいている文化的・美的規範(たとえばインテリアを派手なポスターより複製絵画で飾ったり、シャンソンよりクラシック音楽を聞いたりする)から実践において手を切っている庶民階級のメンバーたちは、「教養を持とう」とする努力を「ブルジョアのまねをする」ためのものと感じとる仲間たちによって、正気にもどるよう思い知らされる。また、中流階級の文化的良心は、社会的上昇の一効果であると同時に、ブルジョアの権利(と義務)へのアスピレーションの本質的な一側面である。アスピレーションというものはつねに客観的なチャンスによって測られるのであるから、知的文化に近づきたいという野心とその実際の獲得は、文化的改宗の奇跡的な産物たりえず、事実上、社会経済条件の変化を前提としている。

ピエール・ブルデュー,アラン・ダルベル,ドミニク・シュナッペー著/山下雅之訳『美術愛好:ヨーロッパの美術館と観衆』木鐸社,1994年(原著1969年),pp.49-50(強調引用者)